竪穴式の屋根には大和とちがって草が生え、まるで地面が一部盛り上っているように見えてしまったのだ。
そうした状態の住居から出撃して、追われれば逃げ込む勇猛で敏捷な蝦夷の姿はほとんど土蜘妹のようだった。
これが、おそらく縄文時代の寒冷地の竪穴式住居というものの本当の姿にちがいない。
これまで各地の遺跡で行なわれている家屋の復原や、教科書に載っている縄文時代の村の姿の図は、ちょっとキレイゴトすぎるように思う。
草葺き屋根よりもう一歩踏み込んで革生え屋根こそ、日本列島の住まいの原型だった。
と、さんざん語った後、ちょっと不安が生じた。
そんな湿度百パーセントに近い環境の中に住んでいて、体は大丈夫だったんだろうか。
乾燥する冬はいいとして、高温多湿の夏は家中カビだらけ。
『日本書紀』の言うように「夏は棟に宿」であれば心配いらぬが、たとえ巣(立木などに枝を差しかけた仮設の住まいのことか)に移らなくても、健康さえ気にしなければ大丈夫だったのではあるまいか。
竪穴式住居の中では、火を絶やさぬため、夏でも炉には火が燃えており、そのおかげでけっこう乾燥していた可能性がある。
堀辰雄も、軽井沢の別荘が湿り気味の土地に建っていたので、夏でも朝から媛炉の火を燃やしていたというではないか。
結核にはなったが。
フランスのシバムネ・ハウス(芝棟〉芝棟についてふたたび。
「棟」という一語が建物を造る上でいかに大切かは、「上棟式」とか「棟梁」とかの用語で分かる。
日本では古来、屋根のてっぺんに棟木を上げることをもって建物の完成とした。
床を張ったり、屋根を葺いたり、壁を塗ったりなんてどうでもよくて、とにかく棟を上げるところまでこぎつければ、出来たも同然。
その上げられた棟の梁のように重要な人物のことを「棟梁」と称した。
日本の建築界では、かように大事なその棟に芝草を植える習慣が大昔からある。
茅葺き屋根の棟に、野芝、イチバツ、イワヒバ、ユリ、ニラ、などなどを植えて飾りとする。
五月の節句の頃、茅葺きの屋根のてっぺんで、青空を背にイチバツ(壊性のアヤメ)が横一列に紫色の花を咲かせ、その脇をコイノポリが泳ぐ棟はすばらしい。
マサカ屋根の上でアヤメの花が、と疑う人は水戸の黄門様の別荘の西山荘に出かけてほしい。
今でこそ東北地方を中心に百棟あるかないかだが、戦前までは全国各地の茅葺き民家に広く根づいていた伝統の造りなのである。
茅葺きのてっぺんに花を咲かせるような伝統は日本だけにしかない、と長らく思ってきた。
ところが、フランスにもあることが分かった。
で、一昨年、昨年と二度探訪した。
自宅の屋根にタンポポを植え(タンポポ・ハウス)、知人の屋根でニラを咲かせ(ニラ・ハウス)、時には松(一本松ハウス)や椿(椿城)さえ植えてきた私としては、なぜかユーラシア大陸の両端にのみ息づく芝棟に心を寄せないわけにはいかない。
こんなに奇妙で不思議な現象を、どうして放っておけようか。
で、一昨年、フランスに出かけた。
目指すは、ノルマンディー地方のマレー・ベルニエールという農村。
フランスの民家写真集にこの村の芝棟の写真が一枚載っていた、というだけが根拠。
現場の案内は私の研究室からパリに留学中の安田結子さん。
列車に乗りパリからセーヌ川沿いに下り、中世の面影を残すルーアンに着く。
そこからタクシーでさらにセーヌ下流域の平坦な田園地帯を走るが、結局目的地には行き着けず、途中で地元のタクシーに乗り替え、ようやく目的地に着いた。
パリから四時間。
村で一軒の居酒屋兼レストラン兼宿舎の前で降り、一本道を歩き始めると、すぐ左手に茅葺きの小さな納屋が現れ、てっぺんには緑が生えている。
貧相だが芝棟に間違いない。
気持ちがせいて、足早に近寄りながら、一本道の先の方に目をやると、右に一軒、二軒、左にも二軒、三軒、点々と芝棟の屋根がのぞいている。
うれしい。
来た甲斐があった。
一本道を先まで行ってみた結果から言うと、この村のほとんどすべての建物は、住まいも納屋も家畜舎も芝棟だったのである。
写真一枚が根拠で訪れたのだが、結果的には大当たりで、ノルマンディー地方でも最もよく芝棟が保存されている村だった。
村の特産はリンゴで、枝からもぎ取って取り立てを食べると、そうとうスッパイ。
大きさも味も色も昔の紅玉に近い。
食用というよりはリンゴ酒用で、フランスでも屈指のリンゴ酒の村として知られているという。
その富があるから、こうして誇りをもって昔の姿を維持することができるのだ。
村の芝棟はすべてイチバツ。
イチバツの脇に巻絹が植えられている場合もあるが、よく見ないと分からない。
日本のイチバツの例と比べると、屋根だけ写せば区別がつかないくらいに似ている。
ユーラシア大陸の両端に、奇妙な造りの民家が一卵性双生児のように残っていた。
おそらく、人類がマンモスを追っかけてユーラシア大陸を移動していた古い古い寒い寒い時代まで遡る血縁関係なんだろう。
以上が一昨年のこと。
昨年はどうしたかというと、パリの近郊に出かけた。
大勢の観光客に混じって出かけた。
なんせ、行き先はベルサイユ宮殿。
太陽王ルイ十四世がフランスの富を傾けて造営した世界一の宮殿建築と広大な庭で知られる。
二代後のルイ十六世の王妃マリー・アントワネットが贅沢三昧の宮廷生活を繰り広げ、その果てにパリの広場に引き立てられて断頭台のツユと消えたことでも知られる。
漫画の『ベルサイユのばら』でも知られる。
そんな恥ずかしいところに芝棟探偵が何しに出かけたかというと、ある一つの疑いがあったからだ。
もしや……ではあるまいか。
宮殿の中は足早に通りすぎ、南側のテラスに出る。
テラスの前方には芝と木立と水による広大なフランス庭園が広がるが、そっちはどうでもいい。
この前来たとき、果てまで歩いてひどい目に遭った。
直線で歩いて、往復二時間。
テラスから西に折れ、森の中を進むと、コツ然と視界が開け、片田舎が現れる。
川が流れ、ほとりには水車小屋が建ち、池が広がり、畑があって農家が立つ。
柵があるのは家畜小屋。
煙突の立つのは住まいだろう。
いずれの建物も壁には石が粗く積まれ泥が塗られ、屋根には草が葦かれている。
森の中を歩いているうちにいつしか宮殿の敷地の外に出てしまっていたのだ。
ではなくて、この人アモー)と呼ばれる小さな村こそ、ベルサイユ宮殿の中でマリー・アントワネットが最も好んだスポットにほかならない。
宮殿本体はルイ十四、十五、十六世の造営になるけれど、この村は彼女が自らの好みで作らせたのだ。
宮殿の儀礼と虚栄の日々に疲れると、彼女はここに引きこもり、村娘の姿になり、乱しぬぼりをした。
乱しぼりはしなかったという説もあるが、きっとした。
コスプレはしてみると分かるが、アクションをせずにはおられないものなのだから。
ここまで書けば、「もしや……ではあるまいか」と私が疑った理由は分かっていただけただろう。
村娘のマリーさんが乱しぼりに励む家畜舎の草葺き屋根のてっぺんには、もしやイチバツの花が咲いていたのではあるまいか。
答えはアタリッ″大当たりだった。
アモーの中のすべての建物とはいわないが、三、四棟にはイチバツの花が咲いていたし、かつてあったと覚しき痕跡のあるのも含めると、主な建物は芝棟で飾られている。
こんなことに興味をもってベルサイユを訪れた者が私以前にいるとも思えないから、マア一応の発見と言っていいだろう。
これで世界の有名人のうち、二人の人物がイチバツの芝棟の家に住んでいたことが明らかになった。
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